昭和46年03月14日 特別奉修委員



 (   の)奉修を頂くと言う事は、あれはもちろんいわゆる、ご飯が非常に昼に、だけどひっぱらなければならないと言う事は勿論ですね。寿司も皆が、寿司はご飯の炊き方ひとつだと言われた時代ですから。とくにあの巻き寿司なんかは、それこそ巻くとどうしてもその、芯が歪んだり、または堅く巻きすぎたりとしますね。だからあれがあの、矢張り、柔らかに巻いてあの、バラバラとけないと言う様なね、おいしくお寿司を頂く。またはよく上手に巻いた寿司とはそういうもんだと言う事ですね。
 ですから、柔く巻いてはあるけれどもけして崩れないという。まあ言うならここで、なら私の信心を評して見ながら、親先生の信心はやわかあって(          ですけどね)私は確かにやわかと行きよると思うですね。またそのやわかと行くと言う事はね、堅う行くでも、例えばね、今日今朝方の御理解やったらもうそれこそ、もう自分をこらえとるような感じで、まあかくいってるわけでしょうけど。あれでもし怪我する人があったりすることのない確信がなかならければ言われんと思うですね。
 もうあげん言われたけん、もうおりゃあ、初めて腹かくこたるふうな、例えば今日は、若先生のことを、まあ取り上げて申しておりますが。じゃなくて、それによってほんとに一段とおかげを頂いていくという自信なかならければ言えない事です。ただ、自分の感情にまかせておこうというだけでは、これは反対になると思うですね。あの(    の)御理解の時に、久富さんが頂いておられる、丁度、扇子をこうあてて叩いた時に、扇子がサッとこのぐらい広がったところを頂いて(    からね)
 叩いても広がる。しかもというまあ(     が)昨日、昨夜からなんな、大変なおきづけを頂いて、そこからまた改まった、若先生が新たにおかげを頂けば有り難いことですよね。それかって言うて、んなら、なら今まで私がその事何にも言わん。例えば、どうしよろうが、どんな、言うならなんちゅうってしょうか、なあーんにならんごたるどんやっていくことを、もうそれに、お酒を出したり、まあ、ウイスキーを出したりその、そして自分はすみ相手にしてるわけですよね。
 そう言うとこも言いもしましょう。ところが、そのそこんいきがまた、世話をしよりますと、わけですけども。お前ちっと考えんかとも言いませんけど、そういう中からですね、人が育っていくんですね。もう人が育つということは、あの堅うやおうなかならければ絶対育たない。少しは(      見せなかならきゃ、魚が吸付かんようにですね、もう、家の子供達に、こうして、ああしなければ、それはもうなぁんにならんことに、来てから、ご飯食べたり酒飲んだり、そのむいちぶん。
 もうあの人達こらせんごとせんかっち昨日言うとったら、もうまた、(    もされますまいけどね)もうそう言う事が、なぁんにも、やーお売ってあるわけです。ですから、なるほどそれで、ただその、子供達はうんはありますばってんか、その中にはちゃんとした芯が育っていくという場合に、これはもうほんとに有り難いですよね。だからあの、ここのやお変わっていくというところがね。
 ならその、やおい行くという事もです、例えば私の、自分、神様にお願いをさして頂いての圏内であいに、例えば事があってるんだと確信してるからそれを言わんですむとですよ。例えてなら、あの、例えば今朝からのように、それこそ、普通では言えない事を今日はズバズバとこう言ってのかしておるわけですけどね、それもやはり、確信がなかならければ言える事じゃないですね。結局は神様を信じなければほんとは、やおう堅うはいけないと言う事。
 お互いの信心にもね、やはりその、合楽でおかげ頂くのどうしてもその、やおうかあと。まあ例えて言うならどうでしょうかね。まあ、熊谷さんなんかの場合なんかは、まあ言うならば、かとううたれるタイプだと思いますね。ですからそういう方が、今度は、あの、やおう行かれるところに、が出来られたらね、こうね立派なもんであろうとこう思いますね。まあ合楽にやおう行く方のタイプもありますね。他にいろいろ。
 ありますが、その方達が、かあと行かれるような生き方になられたら、また、良いものが生まれて来るようにね。昨日あの吉井の角さんがお参りして見えてですね。もう私はほんともう、もうほんと驚いてしまいましたけれど、今朝方からお夢を頂いたっちの、それにその、子供に、長男に着物を縫うて着せよるみたい。ところがその、そのなんちゅうかね、着物にね、もういっぱい待ち針が刺さっとった。はあこりゃ危なかちゅうてからその一本一本どんどん抜くところを頂いた。
 この頃から熊谷さんから、あそこのもうそれこそ大変な、それこそ大変な財産ですからね、あちらの場合。吉井の(  工場)ですから。ですからそれの、税金の事で、遺産税のまあ、そりゃあ事ばくだいなことですからね。それからお父さんが、あんまちゅうぶがあっちゃったけん交通事故で亡くなられましたから、その上たくさんなお金が出来たわけです。だから、それを町に寄付されたそうですね。この頃から頂くようにもこれぐらい、死に金はないですね。
 もう普通そげなんとが(     )たまらんでしょうが。ほうせきさんがたが、五百万円も例えば町に寄付しなさった。それに言うならいきやがんごと、こげなん死に金はないとですよ。これはね、もう死に金のどころか、神様が自分、嫌いなさる使い方です。なしかちょっと、(         )ね。だぶんですからね、もう神様がじっぷん嫌いなさる金の使い方。しかも金はもう殺してしまってるね。
 だからまあ熊谷さんなんかは、ちょっと親戚に渡りますから、きよこさんちょいとは考えにゃいけんよ。ほんとにこれだけの事のおかげを頂いてから、あんたもならこれだけの財産もろうてこうてああしたんだから、ほんとに神様の方にちったおかげ頂かにゃいけんよ。君の事をまあ極力、まあけがされん程度に言われ、まあ話されたらしいいんですけどね。ピンときてないけれども、神様は(   )ね。
 神様に子供に、着物を着せようとした時、それに待ち針がいっぱいね。例えばそういう、例えば、ほんとに針の刺さっとるような財産を残したら子供は怪我をするだけです。(   もついた)ボタンもついこうしてのかしてやるようなもんです。(                     )そういう事をね、ぜんぜん信心のない者や、信心があっても気がつかずにね、我情我欲を言うて、物さえあれば、金さえあれば、そして子供達にそれを残してやればとこう思うけど、そう言う様な事がですね、ただやっぱりもう、やおう、かとう行くような信心からしかそういうところを分らしてもらう信心は生まれてこんと。そしてすみさんのそんな話しを聞かして頂いて、ほんときよこさん、いっちょそこんところをようとわからないけんよっち。
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